ポパイのほうれん草「1982年歌手別リクエストベストテン」
函館・五稜郭にあった「ポパイのほうれん草」というレストランで、20歳のころDJのアルバイトをしていました。
1982年のことでした。
ランキング好きの私は、当時のリクエストカードを寮に持ち帰って、地道に集計しました。
その歌手別リクエストベストテンを発表します。
1982年1月21日から12月26日までにいただいたリクエストカード8575枚を集計したものです。
平日は、8割が女子高校生だったと思います。
日曜は、家族連れもそれなりにいたので、平均年齢は25歳くらいだと思います。
さあ、みなさんが予想するベストテンはどんな顔ぶれでしょうか?
当時を思い出してみてください。
なお、ポイントは、第一希望が2点、第二希望が1点で集計しています。
ちなみに当時、まだ幼児だったみなさん!まだ生まれていないみなさん!申し訳ございませんが、おばさま、おじさまの歴史の1ページということで、お許しください。
ポイントカードの表面です。
ポイントカードの裏面です。
7回来店すると、ハッピーパフェかオリジナルマッチがプレゼントされました。
学生限定だったようですね。
オリジナルマッチは、50センチの直線定規くらいの大きさでした。
なかなかおしゃれなペーパーマッチだったと思います。
いま、未使用の現物があったら、高価買い入れしたい気分です。
それでは、ベストテンの発表です。
1982年 第10位 中森明菜 520pt
明菜のデビューの年です。
2曲目の「少女A」で大ブレークしました。
ここから数年、明菜時代が続きました。
1982年 第9位 RCサクセション 598pt
いまは亡き、忌野清志郎が坂本龍一と組んで、いけないルージュマジックをヒットさせた年です。
名曲「トランジスタラジオ」のリクエストも多かったですね。
1982年 第8位 中島みゆき 630pt
前年の年末に「悪女」をリリースしました。
「誘惑」「横恋慕」といった地味な曲の年でした。
地元北海道ということで、リクエストが多かったようです。
1982年 第7位 矢沢永吉 646pt
永ちゃんが、意欲的に活動した年でした。
「YES MY LOVE」「LAHAINA」「ROCKIN MY HEART」など、今では当たり前になったアルファベットのみのタイトル曲ばかりをリリースしていました。
1982年 第6位 近藤真彦 764pt
実質デビュー2年目のマッチでした。
「ギンギラギンにさりげなく」をヒットさせたあとの絶好調のころです。
「ハイティーン・ブギ」が映画になりました。
どうしても、ひょうきん族の鶴太郎が浮かんできます。
1982年 第5位 シャネルズ 799pt
ラッツ&スターに改名する前ですね。
リーダーが実のお姉さんと歌った「もしかして、I LOVE YOU」がヒットしました。
シャネルズの一番人気は、当時、田代まさしだったのですが…。
1982年 第4位 田原俊彦 859pt
マッチと人気を二分していましたが、ポパイではトシちゃんの方が人気があったようです。
「原宿キッス」のリクエストが多かったですね。
当時、口が裂けても言えなかったことです。
歌…へたくそですね。
さて、ベストスリーです。
1982年 第3位 オフコース 941pt
この年のシングルヒットは「YES-YES-YES」くらいのものですが、「さよなら」「YES NO」など往年のヒット曲のリクエストも多かったですね。
LPにあった「言葉にできない」も根強い人気がありました。
女子高校生の熱烈な支持が大きいですね。
1982年 第2位 松田聖子 967pt
「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」など、聖子全盛期の年でした。
B面の名曲「制服」のリクエストも多かったですね。
女子にも支持されていたことがわかる結果です。
さあ、では、ダントツの1位です。
1982年 第1位 サザンオールスターズ 1144pt
一時期ちょっと低迷していましたが、年明け早々「チャコの海岸物語」がヒットしました。
年間を通して、シングルがコンスタントにヒットしました。
LP「NUDE MAN」のおしり写真は強烈でした!
では、第1位のサザンに敬意を表して、1982年のヒット曲をお届いたします。
いかがでしたでしょうか?
そのうちに、「1982年リクエストベスト100」をアップしますので…。
1982年のことでした。
ランキング好きの私は、当時のリクエストカードを寮に持ち帰って、地道に集計しました。
その歌手別リクエストベストテンを発表します。
1982年1月21日から12月26日までにいただいたリクエストカード8575枚を集計したものです。
平日は、8割が女子高校生だったと思います。
日曜は、家族連れもそれなりにいたので、平均年齢は25歳くらいだと思います。
さあ、みなさんが予想するベストテンはどんな顔ぶれでしょうか?
当時を思い出してみてください。
なお、ポイントは、第一希望が2点、第二希望が1点で集計しています。
ちなみに当時、まだ幼児だったみなさん!まだ生まれていないみなさん!申し訳ございませんが、おばさま、おじさまの歴史の1ページということで、お許しください。
ポイントカードの表面です。
ポイントカードの裏面です。
7回来店すると、ハッピーパフェかオリジナルマッチがプレゼントされました。
学生限定だったようですね。
オリジナルマッチは、50センチの直線定規くらいの大きさでした。
なかなかおしゃれなペーパーマッチだったと思います。
いま、未使用の現物があったら、高価買い入れしたい気分です。
それでは、ベストテンの発表です。
1982年 第10位 中森明菜 520pt
明菜のデビューの年です。
2曲目の「少女A」で大ブレークしました。
ここから数年、明菜時代が続きました。
1982年 第9位 RCサクセション 598pt
いまは亡き、忌野清志郎が坂本龍一と組んで、いけないルージュマジックをヒットさせた年です。
名曲「トランジスタラジオ」のリクエストも多かったですね。
1982年 第8位 中島みゆき 630pt
前年の年末に「悪女」をリリースしました。
「誘惑」「横恋慕」といった地味な曲の年でした。
地元北海道ということで、リクエストが多かったようです。
1982年 第7位 矢沢永吉 646pt
永ちゃんが、意欲的に活動した年でした。
「YES MY LOVE」「LAHAINA」「ROCKIN MY HEART」など、今では当たり前になったアルファベットのみのタイトル曲ばかりをリリースしていました。
1982年 第6位 近藤真彦 764pt
実質デビュー2年目のマッチでした。
「ギンギラギンにさりげなく」をヒットさせたあとの絶好調のころです。
「ハイティーン・ブギ」が映画になりました。
どうしても、ひょうきん族の鶴太郎が浮かんできます。
1982年 第5位 シャネルズ 799pt
ラッツ&スターに改名する前ですね。
リーダーが実のお姉さんと歌った「もしかして、I LOVE YOU」がヒットしました。
シャネルズの一番人気は、当時、田代まさしだったのですが…。
1982年 第4位 田原俊彦 859pt
マッチと人気を二分していましたが、ポパイではトシちゃんの方が人気があったようです。
「原宿キッス」のリクエストが多かったですね。
当時、口が裂けても言えなかったことです。
歌…へたくそですね。
さて、ベストスリーです。
1982年 第3位 オフコース 941pt
この年のシングルヒットは「YES-YES-YES」くらいのものですが、「さよなら」「YES NO」など往年のヒット曲のリクエストも多かったですね。
LPにあった「言葉にできない」も根強い人気がありました。
女子高校生の熱烈な支持が大きいですね。
1982年 第2位 松田聖子 967pt
「赤いスイートピー」「渚のバルコニー」など、聖子全盛期の年でした。
B面の名曲「制服」のリクエストも多かったですね。
女子にも支持されていたことがわかる結果です。
さあ、では、ダントツの1位です。
1982年 第1位 サザンオールスターズ 1144pt
一時期ちょっと低迷していましたが、年明け早々「チャコの海岸物語」がヒットしました。
年間を通して、シングルがコンスタントにヒットしました。
LP「NUDE MAN」のおしり写真は強烈でした!
では、第1位のサザンに敬意を表して、1982年のヒット曲をお届いたします。
いかがでしたでしょうか?
そのうちに、「1982年リクエストベスト100」をアップしますので…。
真夏の大感謝祭 LIVE(通常盤) [DVD]
ビクターエンタテインメント
2008-12-03
サザンオールスターズ
ユーザレビュー:
国民的バンドの夏休み ...
桑田の気持が透けて見 ...
みんな笑顔!桑田さん ...

Amazonアソシエイト by

ビクターエンタテインメント
2008-12-03
サザンオールスターズ
ユーザレビュー:




Amazonアソシエイト by

この記事へのコメント
大御所ばかり!
一位はサザンというのもうなずけます☆
1982、私は1歳でしたが、どの曲も聞いたことがあります。それだけ人気だったんですね!
DJさんかっこいい☆
歌謡番組が衰退し、歌謡番組がなくなりつつある時代の始まり・・・個人的にはかわいさんと同学年
矢沢、オフコースが嬉しかったなぁ。
松田聖子の曲はシングルも、アルバムも作詞作曲者がとにかく凄かったのもこの時代ですね。
中島みゆきとオフコースをリクエストします!
今になって
聖子ちゃんです。
赤い~スィ~~ト♪ピィ~~♪を!
彼女の
強い、生き方に憧れます
1番好きだったのはオフコースでした。
2番目が中島みゆきさんです。
何だか大体の年がわかってしまいましたね(>_<)
聖子ちゃんかな?と予想したけどハズレ
明菜チャンは処女Aが一等好きです、インパクト有ったもんなぁ‥じれった~いじれったい♪
当時カラオケで歌っていたのは、「おもいで酒」「くちなしの花」「契り」あたりかな。
あれ、リクエストランキングにひとつも入ってない。おかしいなぁ。
エッ、お呼びでない、こりゃまた失礼いたしました!?
そんななかで音楽は必須のものでありまして、サザンはテープが擦り切れるほど(カセットです。古い話ですなぁ)聞きましたがな。
やっぱりデビューアルバムが一番好きです!
でも、ポイントカードはかわいさんの?今も持ってるんだね、それにベストを覚えているんなんて凄くねぇか!?
さきほど、パソコンで浅羽さんの最新ラジオを聴きました。
いや~、ほのぼのとしていて、まったりした気分になりますね。
お仲間たちとのやりとり…微笑ましいですね。
遠く北海道から応援させていただきます。
さて、サザンですが、少し低迷していた時期があるんですよね。
それを乗り越えた!
桑田さんの才能はすばらしいと思います。
YaYaは、マイカラオケの一曲ですね。
>この頃あたりが最後かな
そのとおりだと思います。
次の年から働き出したから、すっかり歌から離れてしまいました。
『Bz』っていまだによくわかりません!
松田聖子は、たしかにすごかったですね。
あなたの大好きな財津さんのほかに、
オオタキ(シュウジじゃないよ)!
マツトウヤ(ダンナじゃないよ)!
オザキ(ユタカじゃないよ)!
まさに一線級のオンパレードでしたね。
中島みゆきは、この年はアルバム「寒水魚」ですね。
「捨てるほどの愛でいいから」は大好きです。
赤いスイートピーは、まだ音だけのカラオケをよく歌いました。
男なのに…。
こんばんは。
オフコースは、女性に大人気でしたね。
中島みゆきは、コンサートが超面白かったですね。
年齢…ですかあ~、まあそんな世代なのですね。
キャー、スパムじゃないからって、乱発しないで~!
キャー、ちちあたまさんは、聖子ちゃんだと思ったの~!
キャー、またところおんなだなんて、ちちあたまさん、飛ばし過ぎよ~。
替え歌で、「自衛隊」に変えてよく歌いました。
って、ヤツですね。
リクエストランキングの次回、曲別ベスト100に期待してください。
って、入ってませんが…。
がちょ~~~~~ん!!!
ぶいぶいぶいぶい…ブタかい!
だった時代ですね。
ファーストアルバムは、熱い胸さわぎでしたっけ?
私は記事にもある「裸男」ですね。
って、高田総統かい?
シャネルズですよ~!
タシロマサシですよ~!
クワマンですよ~!
ポイントカードは、なぜか持っていました。
ベストテンは、毎週私が作成して店内に張り出していました。
たいして売れてない歌を、高校生たちが組織票でベストテンに入れて喜んでいましたよ!
オールナイトニッポン!
家族のしょーぞー!
ベスト100 期待してます。
若いときなら、たしかに病みつきになるかもね(~0~)
か~ぞくのしょ~ぞぉ~♪
で、始まるコーナーですね。
独特の節回しでしたね。
『あくしゅ権』ってのもなかったかなあ。
ベスト100どういうふうに紹介するか考え中です!
>6千枚以上、女子高生からの何かを持っているおじさんって、そういませんよ。
うまい表現ですね。どうもです。
五稜郭って、東京で言うと新宿のような場所です。
公共交通機関の乗り換え地点になっていたんですね。
バスを待っている時間にちょっとパフェを食べて行くなんて感覚だったんですね。
月曜日は、パフェ半額の日でしたから、すごい数でしたよ!
もちろんほぼ全員が2ケ以上注文していました。